2012年2月9日木曜日

My Story of Frida

My story of Frida


 
私のライフワークになりつつあるフリーダ・カーロという画家について、
いつかきちんとここでも書こうと思っていますが、
久しぶりに大学時代に書いた論文を読み返していて、
その序論の一部が、当時の私の「知る」喜びとか、
本当に一生分の最初のひとかけらの、
私の人生を彩るキラキラしていてあまりに美しい経験が
ぎゅっとつまっていて、
これからもずっとこのように生きていけたら
と、心から願いました。




序論

My story of Frida



 はじめてその絵を知ったのは、大学図書館の地下でのことだった。フランシス・ベーコンの画集を探して芸術コーナーを歩き回っていたら、思いがけず、本当にふと、「FRIDA KAHLO」という背表紙が目に入った。

その時私は19歳で、いつも何かを求めていて、それが何かはわからなかったが、毎日の何気ない瞬間にも敏感にアンテナのようなものを張り巡らせていた。
アラスカで星野道夫が見た“廻りゆく命”を知り、フランシス・ベーコンの“肉“の概念を知り、イエス・キリストという人生を知り、星のように美しい古代哲学を知り、ポアンカレ予想から壮大な数の世界を知った。
現在の自分を知るための時間だったが、何となくまだそれは完成していないように思っていた

まだ足りない、私という存在に完全に呼応する“何か”。直感だったが、あわててその本を引っ張り出し、席について開いた。

フリーダ・カーロという画家は、それまでこれっぽっちも知らなかった。メキシコの女性画家で、それだけでは顔はよく分からなかったがベッドに横たわって髑髏の砂糖菓子を手にした小さな写真が載っていた。

絵を1枚開いた瞬間、私は不思議な感覚にとらわれた。
雷に打たれたように、次々にページをめくる。
ずっと子供のころから知っているかのような感覚だった。
いや、人間の女性としてこの世に生まれた自分の細胞が、その絵に描かれていること全てを知っているようだった。
根源的な女性性、私がまだ知らぬ彼女の生きた大地が持つ原始的な力、彼女の持つ色彩感覚、何を美とするかという思考、人生をどのように苦しみ、どのようにもがき、どのように愛したかという痕跡まで、私はその瞬間に全てを感じ取り、全てが私に完璧に響き合っていることに気がついた。

 図書館を駆け回り、フリーダ・カーロと名のつくものは片っ端から腕に抱えて机に運んだ。
 緑色に小花を散らした壁を背景に、頭にかぐわしい真ピンクのバラを乗せて、ちょこんと座っているフリーダの写真を見て、私は心底参ってしまった。彼女はあまりにも美しく、魅力的な女だった。

 後にマルタ・ザモーラの著書「フリーダ」を読んだ時、ザモーラが5歳の時、「ファレス通りを歩く“キラキラ輝くクリスマスツリーのような”フリーダを見た」というその強烈な経験に、私はシンパシーを感じ得ずにはいられなかった。