2011年11月24日木曜日

Vamp & Pimp - Kitsch girl's mind is glittering in here.









大好きなものにぎゅっと取り囲まれて
ぐるぐるお店の中を見てまわってしまう、
大好きなお店です;)



大阪市西区北堀江1-2-25
堀江大京ビル2階
Phone 06-6533-3038
13:00~20:00 
水曜日&第1第3火曜日 定休日

see more here

http://www.vampandpimp.com/


2011年11月21日月曜日

Librairie Astarte アスタルテ書房


京都三条、御幸通り×姉小路通りのマンションの一室に、
ひっそりと幻想の文学サロンが息をひそめています。

目印は、マンションの入り口のポストについた小さな表札
「アスタルテ書房」の文字だけ。

さっそく金子國義氏が描かれたアスタルテのOPENマークが出迎えてくれます。

ノックは不要。こっそり扉をあけると・・・







そこはめくるめく頽廃と耽美、悪徳とエロス、幻想と闇の文学の世界です。






ここにある蔵書は、本当に驚くべき宝ばかりなの。
端から端まで背表紙だけ読んでいても一日退屈しないかもしれません。

ここは稀代の画家、金子國義の装丁本やリトグラフ、
「ロリータ」の初版本など、
信じられない豪華本が並びます。

 


本だけでなく、宇野亜喜良の原画
頭蓋骨と貝殻(同名の澁澤龍彦の著書の横に並んでる)
戦前のヨーロッパの彩色肖像写真など、
店主佐々木さんを構成するありとあらゆる要素が、
この空間に凝縮され、

丁寧に丁寧に値札が付けられています。




小川洋子の小説、「薬指の標本」の世界の中のようです。



これは特に充実している、私も崇敬してやまない澁澤龍彦のほぼ全ての著書。

佐々木さんは、生前の澁澤や生田耕作、土方巽などと深い親交があり、
この文学サロンアスタルテにも、
かつてはかの文芸人たちが集い語りあっていたようです。


生前の澁澤が訪れたのは移転前のアスタルテで、
佐々木さんが病床で「澁澤先生、新しくアスタルテ書房を三条に開店しましたよ」
と伝えたところ

“それは一度、是非お邪魔したいものだ”

と筆談で返されたそうです。

しかしそのまま、澁澤は亡くなり
2度と京都の地を踏むことはありませんでした。


澁澤の奔放な筆跡。


ここには四谷シモン、金子國義、
時代とともにより先鋭に美しさを増していく
澁澤が愛した頽廃と幻想の世界を生きる芸術家が未だ集います。



ここが店主佐々木さんがいつも腰かけるデスク。
宝石のような蔵書に囲まれ、貝殻のように密かに濃密な時間を過ごしています。





彼から譲っていただいた、奇跡の豪華本、澁澤龍彦責任監修の雑誌

昭和43年発刊、創刊号

「血と薔薇」


一生手に入らないと思っていたものですが、
ここでついに出会ってしまいました。
ずっとずっと長い間、憧れの本でした。

私の手元に来たということはもちろん、
アスタルテという、澁澤たちの記憶まで詰まった場所で、
彼らの記憶を受け継ぐ佐々木さんから、貰い受けることができたということは、
私にとって本当に重要だったと思います。

一生の中で、一番大切な宝物かもしれません。






行き方は絶対に絶対に、(ロマンスよりも絶対にマジで)わからないので、
お出かけになる前に店主佐々木さんへお電話を一本おいれ下さい。
快く迎えて下さいますよ:)

また私に聞いてくださっても大丈夫です。


アスタルテ書房
京都市中京区三条御幸町上ル東側ジュエリーハイツ202
Phone 075-221-3330
12:00~19:00
毎週木曜日定休

2011年11月16日水曜日

人は死ぬとどうなるのか 中島らも

ちょっと私の頭の中のとある側面からひっぱりだしてみる。

昔から中島らものようなおっさんがすきだった。

ダメなんだけど、よれよれなんだけど、どうしようもないんだけど、もうどうにもできないような崇高な叡智を持ってしまっている人。

そんな人に常に憧憬をいただいてきた。

今たまたま、地図上でえいっ!!って指さして選んだ「玉造」という街に住んでいるが、
色んなアーティストやクリエイターの集う密かな隠れ家のような街で、
コテコテの商店街もあって、
ちょっと北に進むとそこはもうバラックの連なる焼き肉の街、鶴橋で、
らもさんもここ玉造に住んでたとのちのち知った。

よれよれの彼を見かけたことがある、という若い人に沢山出会えてうれしい。
あなたはもういないが、
私はここでらもさん、あなたの面影を見ている。









『僕にはわからない』中島らも著・双葉文庫

という本を本屋で買って
らもと言う人に私が何故ここまで惹かれるのか、その理由にしても良い、
すばらしいエッセイを見つけた。

率直に超感動する。
結婚しても良い。こどもだけ産んでもよかった。それぐらいしびれる。
死ぬのが恐くなったらこれを病の床で読んでもらおうと決意している。
お葬式でも読んでもらおう。
以下ちょっと抜粋である。


人は死ぬとどうなるのか


「丹波哲郎氏の映画「大霊界」を不覚にも見てしまった。」
という一文からはじまる。相変わらずバカバカしくて笑える。
 
「死後の世界について、「嘘でもいいから」教えてほしい、というのは人間の「業」みたいなものなのだろう。この世の生き物の中で、自分が「生きている」ということを自覚できるのは人間だけであって、「生きている」ことの反対の概念として「死んでいる」状態というものが想定される。その「死んでいる状態」についてさまざまな憶測が生まれてきて、そこに宗教の成り立つ地平があるわけだが、考えてみるとこれは人間のロジックや言語による思考が生み出す錯覚のひとつではないだろうか」

うむ。。。
嘘が存在しない世界で、「死ぬのがこわい」とこわがる病床の母親に、「死後の世界」について嘘をついてしまう主人公が出て来るアメリカ映画があって
私自身宗教をかなりリベラルな立場から研究していたからこそ、
天の国や死後は、そうして生まれた、人類史上最も優しい嘘だったのかもしれないと考えたこともあったなぁ。

らもさんはバタイユの「連続」「不連続」の思想に人間と言う種の生命体をあてはめる

「人間は極端な言い方を許してもらえるなら、別に死ぬ必要は無い。一個の巨大な「原人間」みたいなものがあって、それが新陳代謝を繰り返しながら、半永久的に生きていく、という存在形式だって考え得るのだ。だた人間および地球上の生物はその形態を選ばなかった。多数の個体に分かれて、各個体は死によって消滅するが生殖によって種としての生命は連続していく方法を「選んだ」わけだ。」

原人間、ようするにアメーバの生態である。
しかし原人間が消滅するとひとつの種としての個体も消滅する。
氷河期やビックバンに生き残るために、人は各個体に分かれて、種としての消滅を防いでいる。

「たとえばひとつの個体を考えるときに、「死後の世界」ではなくて、個体の死からさかのぼっていく考え方をしてみよう。僕なら僕という個体の経た時間をさかのぼっていくと、僕はどんどん若くなっていき子供になり赤ん坊になる。それをもっともっとさかのぼっていくと一個の受精卵になる。僕の僕としての存在はここまでである。ただそのむこうにあるのは死ではなく限りない生なのだ。僕は精子と卵子に分かたれる。精子をたどっていくとそれは僕の父親になり、卵子は母親である。同じ方法で父親を、母親をさかのぼっていくと倍々ゲームに枝分かれしていく先にはほぼ無数の「生」がある。死はどこにもない。そこにあるのは輝く「生」の海であり、種の全体の命がそこにある。無限の生が収れんして僕という結節点を結び、僕を越えたむこう、つまり未来にはまたそれと同じ無限の生が広がっていく。 」

名文である。
泣きそうになる。
そこにあるのは輝く「生」の海である。


最後にいかにもらもさんらしい、地を割く閃光のように強靭な、彼自身の「生」への言葉で締めくくられている。


「僕という個の存在は、僕の精子が一人の女性の卵子と結合した瞬間にその存在意義を完遂している。あとは生きていてもいいし、生きていなくてもいい。(中略)僕は個であると同時に種の一部である。一にして全であり、全てであると同時に何者でもない。」
 

あー、
中島らもを好きでよかった。 

休日のお買いもの貼


ぽつりぽつりとDesign School Staffに与えられるお休みを有効活用すべく、
休日はいろんなことしてアクティブにしているように心がけてますが、
もっぱらここ2~3日は最近ずっとしてなかったお買いもの!


ムチャチャのねこ靴下
超CUTE!!!!
しかし生地がふざけんなよっううってくらい弱っちい
はくのがこわいよー


VaMp & PiMpのネックレスやイヤリング
かわいい!!
最近一番のヒットのお店。


LAのアーティストが描いた超かわいい木片(MusyaMusyaというブランド名)
がネックレスになってます。
うさぎがお肉むしゃむしゃ食べてる・・・
猫は指かじってます。かわいい




さて、明日も京都でのんびりするか:)

2011年11月11日金曜日

Shopping in MEX.


「Mexicoにグアダルーペのマリアがいてよかったねぇ」
とまたnoyukiさんに言われましたが、
本当にそうね、

私がフリーダの画集を大学図書館で見たときの電撃と直感とsympathyは、
Mexicoに溢れかえっているこういったものたちが
まさに私の核を形成していることからも、
本当に間違いなかったなと思ってる。

★★

お友達に頼まれて、
Coyoacanにお散歩に行ったついでに、骨董品屋に寄ったり、
Ollinと一緒に街中の屋台や市場に行ったりして、
少しbuyingをするようになりました。

★★

もし本当に買い付けをして、お店を大阪のお部屋とかでこそこそっと
たまに、気が向いたら開いて、
お友達やお客さんに紅茶を振舞いつつ、
私ものんびりしつつ、
大好きなこんなものたちが、他のかわいい乙女達の眼にふれたり、
お家に持って帰ってもらったりして、
また一生大切にしてもらえたらSuper Happyだわ。
そこで得た密かな収入で、またMexicoに行って、Ollinと犬のritaとのんびりしながら
またかわいいものを探して街を歩いて、

そんな生活ができたらいいな。











MEADHAM KIRCHHOFF


Amazing!!






Eline's room NAGOYA


横倒しのまま失礼します;)jajaja sorry but I can't fix...!

Here is Eline's room NAGOYA

たまにtea salonとしてひっそりとお客様をお迎えしてます。

ここでHedwig and angry inchやシュヴァンクマイエルのビデオを見たり、
中島らもと澁澤龍彦、山折哲夫の「ブッダはなぜ子を捨てたか」を読んで哲学し、
old bluesやziggy stardust、White stripesを聞き、 
たまに部屋を荒らし、
フリーダ・カーロの論文をひたすら書いていたりしました。

naoyukiさん曰く、私は外出する時、
「この部屋の要素をピックアップして、それを身につけて外に出るんだね」
ということらしい。
うん、その通りだ。

こんなクローゼットのような、自分だけの世界を持っている乙女がいたら、
是非コメントを残していって下さい。

photographer NAOyuki Oginoがこのシェルターのような部屋を撮りたがっているの。
あなたの世界も是非見せて下さい。



祭壇のような私の勉強机。
壁に貼ってあるポスターは、ロシアのエストラーダ劇場でオペラの公演に出演した時のもの。
おばあちゃんの形見のカラットの低いdiamondのかけらがたくさんつまった小瓶や、
クレインの調合したクレインブルーという世にも美しい青い絵の具
ブラジルで採取された蝶の標本
中国のスーパーの薬局で買ったタツノオトシゴの標本
聖書に出てくる、乳香の結晶。
そんなものがぎゅーっとのっかっています。




おもちゃの棚。ママと二人でこつこつ集めました。
上のヴィンテージBarbieたちは特にママの宝物。




本無しでは生きていけません。
大好きな本ばかり。
辛酸なめ子、澁澤龍彦、小川洋子、別冊太陽、輪廻転生、寺山修司、
エドガー・アラン・ポー、イスラム教、キリスト教、人類学、死についての本、聖書、中原淳一の乙女白書、エジプト、銀色夏生、哲学書、池田理代子のマンガ「おにいさまへ・・・」
星野道夫の「旅をする木」これはかなり私のバイブルに近い。
そんなカオス状態。
貸し本屋さんでもやろうかしら。



また名古屋に帰った時は、tea salon します:)

I hope you coming!!!



2011年11月8日火曜日

Le Jeune Homme et la Mort, Yungman and The Deth


Le Jeune Homme et la Mort -  Yungman and Tha Deth
Marie-Agnès Gillot, Nicolas Le Riche

This is my most favorite ballet drama.
Nicolas playing "the core" of ballet I think.
The body and the spirit is energetic, decadent...beautiful.

若者:二コラ・ル・リシュ
若い女:死:マリ=アニエス・ジロ

ジャンコクトーが台本を書き、ローラン・プティが振り付けた、1946年初演の傑作です。
音楽はヨハン・セバスチャン・バッハの『パッサカリアとフーガ』。

「とある屋根裏部屋、若い男が独りで待っている。
そこに乙女が入ってくる。彼女こそが彼の不幸の原因なのだ。
彼は身を投げ出す。彼女は彼を押し戻す。彼は哀願する。
彼女は彼を侮辱し、嘲笑し、その場から立ち去る。彼は首を吊る。

部屋が消えていく。吊られている身体のみが残る。
屋根を伝って『死』が舞踏服で現れる。
仮面を外すとそれはあの乙女である。
そして、犠牲者の顔に仮面を被せる。

二人は一緒に屋根の向こうに歩み去る。

ジャン・コクトー」



稀代のエトワールたちが「若者」を 演じてきたけれど、私にとって二コラが頂点かもしれない。
彼以外の「若者」の解釈に、果たしてこれほどまで心がえぐられるかな。
「若い女」そして「死」のマリ=アニエス・ジロ!
彼女も歴代で一番かも。ハマりすぎ!
あのながーい長い足が、この世のものではないような「若い女」の超越的魅力をさらにひきたてているような気がしてくる。
マリがタバコを吸いだすところとか、最後、縄を指さして、両手をあげて走り去るところなんか、本当鳥肌が立つ。
あぁ、なんて美しくて恐ろしい女。