2012年9月15日土曜日

数学の美しさについて

私は「数学が苦手」というレッテルを貼られた子どもだった。
間違いない。
簡単な日常計算以外、テスト勉強の為とつめこまなければ、ころころ忘れていってしまう。
全然できない。

でも数学は美しい。
数学には唯一、永遠がある。
この上もなく美しい。
数学は解けないけど、ただただ、大好き。


読みやすくて、数学の圧倒的な美しさがつまってて大好きな本、

「世にも美しい数学入門」

から少し引用してみようと思います。
数学者藤原正彦さんと、大好きな小説家小川洋子さんとの対談です。

小川「先生、数学者がしきりに『美しさ』について語っていますよね。
それまでは、数学なんていうのは無機質で感情の無いものを、冷徹な心を持った人が論理的にやっている学問なんだろうと思いこんでいたんです。
でも数学者に一番必要なものは美意識だって、先生もお書きになっていらっしゃった。」

藤原「そうですね。たとえばエンジニアリングだったら、飛行機を速く飛ばすのに役立つとか、いわゆる有用性がありますよね。一方数学と言うものは、本来は無益なものです。私のやっているものなんか、500年たてば人類の役に立つかもしれないですけど、いまは全く役に立たない。何によって価値判断するかというと、主に美しいかどうかなんです。」

小川「ですからそこが、芸術に遠くないというか、むしろ近い分野だなって思ったんです。」


永遠の真理の持つ美しさ

小川「数学が美しいというのが、なかなか言葉で説明できないんですけど、でも私は三角形の内角の和は180度であるということ自体がもう、素晴らしくて美しいと思うんです。『三角形の内角の和が180度である』という一行が持ってる永遠の真理は、何者にも侵されない。この美しさは、どんな文学でも詩の一行でも表現できないものをもっていますね。」

藤原「学校の先生はどういう風に説明するかわかりませんけど、三角形の内角の和が180度というのはね、平べったい三角形を書いても、とんがった三角形を書いても、顕微鏡で見るような小さいのでも、校庭にバカでかいのを書いても、どうやってもぴったり180度になるんです。しかも、100万年前も現在も、そして100万年後もそうだと。地球が爆発してなくなってもそうなんです。こんな真理はほかにない。こういう永遠は数学以外には存在しないから、そういう美しさがある。」

藤原「先生がそうやって教えてくれたら、子供達はああ、なんて美しい定理なんだってわかる。それを受験問題を解くための暗記事項で教えられちゃうから、子供はみんな嫌いになっちゃう。」

藤原「数限りない定理や数の永遠の法則が、こういう美しいものが山ほどある。なんで世の中がこんなに美しくできているのかわからないんですよね。神様を持ちだすのは逃げかもしれないけど、ほんとうにどうしてかよくわからないんです。」



数限りない数学者達の人生を破滅に追い込んだ、
「ポワンカレ予想」
というものがある。
それはこのような予想である。
単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である。
厳密に言うと正しくないが、たとえて言えば、

宇宙の中の任意の一点から長いロープを結んだロケットが宇宙を一周して戻ってきて、ロープの両端を引っ張ってロープを全て回収できた場合、宇宙の形は概ね球体(ドーナツ型のような穴のある形、ではない)と言えるのか、という問題である。

ポワンカレ予想が解ければ、宇宙の「形」わかるということに近い。

1904年に数学者アンリ・ポワンカレによって提出され、100年もの間、さまざまな数学者がのめりこみ、人生を狂わされてきた、究極の予想でもあったが、
2002年から2003年にかけて、数学者グレゴリー・ペレリマンが、
インターネット上にひっそりと、ポワンカレ予想を証明したとする論文を複数掲載した。

100年もの間、トポロジーという理論でポワンカレ予想は解けると思われていて、
さまざまな数学者がトポロジーから人生をかけて解読してきたが、

論文の証明の解説を求められたペレリマンが、アメリがの壇上で予想を解くと、
そこに集った世界中の数学者達は、
「まず、ポアンカレ予想を解かれたことに落胆し、それがトポロジーではなく微分幾何学を使って解かれたことに落胆し、そして、その解の解説がまったく理解できないことに落胆した」
という。




ポワンカレ予想に取り掛かる前のペレリマンは、非常に明るくて社交的な人物だったらしい。
しかし予想に取りつかれはじめてからは、誰にも会わず、研究室にこもりきりになることが増え、性格も大きく変わったという。

予想証明が正しかったと認められ、数学のノーベル賞にあたるフィールズ賞を与えられたペレリマンは、何と受賞を辞退し、
消息不明になる。

祖国ロシアを訪ねると、本人に会うことができなかったが、
聞くところペレリマンは無職で、母親と二人で年金生活をしながら、
森でキノコ狩りをしているという。

そして友人に、
「今新しいものに興味を持っている。でもそれはまだ誰にも言えない」
と語ったという。


数学の美しさは時に、人の人生までを飲み込み、
ペレリマンに見せた、何かとてつもない真理をもって、
数学者を別次元の世界に連れ去ってしまう。



なぜ精神医学がネガティブなのか5分考えた

今日友達が持ってたポジティブ心理学の本を少し読んで、精神疾患をマイナスから0に戻すのが精神医学で、それは非常にネガティブなベクトルへ向かうと再認識させられた。
現代の心理学、精神医学は主にフロイトとユングに始まる。しかしこの負のベクトルは、フロイトに起因するものと、カフェでエスプレッソフフロートを食べながら突然思った。

フロイトが、文明の中に常に疾患に陥る起因があり、日々を過ごすことはある種"つぐない"であると言ったが、そうした態度には、フロイト自身がユダヤ人であることのジレンマが滲み出ていたのではと思った。
ホロコーストの時代を生きたフロイトが、類としての闇の深淵を探り、自らの生きる意味やユダヤ人の宿命について、常に自問していたと仮定すれば、それは当然のことだったかもしれない。

そんなようなこといつも思いつく。根拠はない。また何か研究したい。
フロイトについてはまた考える。