そして9月5日、ベルリンへ旅立つ車上の人になっても、杉原は車窓から手渡しされたビザを書き続けた。その間発行されたビザの枚数は、番号が付され記録されているものだけでも2,139枚にのぼった。汽車が走り出し、もうビザを書くことができなくなって、「許して下さい、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています」と千畝が頭を下げると、「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」という叫び声があがった。そして「列車と並んで泣きながら走っている人」が、千畝たちの「姿が見えなくなるまで何度も叫び続けて」いた。
独断で日本の通過ビザを発行し、6000人のユダヤ人を救った杉原千畝。
写真は彼が手書きで発行し続けた「命のビザ」。
独断で日本の通過ビザを発行し、6000人のユダヤ人を救った杉原千畝。
写真は彼が手書きで発行し続けた「命のビザ」。