私のシリア人の友達アフマッドは、大きな身体に牛乳瓶底みたいな度の強いメガネ、はにかんだ笑顔とシャイな性格、優しい心の持ち主で、日本で機械工学を学ぶ大学院生だ。
いつも私のカフェで勉強したり、会いに来てくれる。
辛いこと、悲しいことがあった時は必ず、カフェにそっと来て、私と少し話して、カプチーノをカフェの片隅で1人で飲んで、そっと帰る。
この間はとても疲れた様子だったので、「アフマッド、どうした?」と声をかけると、
「大学の時の先生が、戦闘で昨日亡くなったんだ....」と答えた。
ゼミでお世話になった仲良しの先生が、反政府軍の兵士として戦闘に参加し、亡くなったらしい。
先生どうして、戦闘になんか参加したんだ。クレイジーだ、、言って、アフマッドは大きなため息をついた。
「えりこ、戦争なんてやっぱりだめなんだよ。戦争なんてどうして人はしたがるんだろう。僕はもう、帰る国がない。僕の実家アレッポを見て、もう何もない。政府は毎日飛行機で空爆をしてくる。僕の友達は沢山死んだ。沢山死んだんだよ。」
私はちゃんと話を聞こうと、一字一句噛み締めた。シリアの都市、実家があり、まだ家族全員が逃げずに残っているアレッポの写真を検索して見せてくれた。昔の美しいアレッポを見せてくれようとしたけど、人の死と、もう見る影もない崩れ切ったがれきの写真しか見つからなかった。
彼の優しい人柄からは想像を絶する状況を改めて目の当たりにして、アフマッドを慰める言葉が見つからず、私は一緒に悲しみを感じようとすることしかできなかった。
実は今日また、アレッポにいたアフマッドの祖父が亡くなった。
シリアに帰ることができず、日本でも大学内で教授たちのイスラム教の文化に対する無理解や、中東南アジアの学生に対する見えない差別にさらされている。
日本に来たらできると夢みていた日本人の友達。でも日本人学生はみな、トーエックの点数は持っていても英語を話す勇気がないか、話せない。みんな見て見ぬ振りか、無関心を貫いているように感じる。
彼は平和なはずのここでも、とても孤独だ。
せめて私は、耳を傾けているよアフマッド。
せめて私は、戦争による死、破壊、苦しみを知らなくちゃいけないと、目を背けずに見ているよアフマッド。
せめて私は、あなたの話を聞いているよ。
写真は全部アレッポの現在の様子。
どうして阿部さんは軍隊を持ちたいのかな。
どうしてプーチンはミサイルを発射したのかな。
戦争を現実として感じてみる必要がある。
人を殺すってどういうことか。兵器を持つってどういうことか。
”国”の威信のため、”国”を強くするためって言うけど、国じゃなくて、そこにいるのは無数の人間なんだよ。
家族がいる、無数の人間なんだよ。
大事なのは国じゃない。人と人が仲良くすることでしょ。知ることでしょ。
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