入浴中の私を母がしつこく呼んでいる。
すごいものやっている!と言う。
アインシュタインやチェーホフなど偉人達のラブレターをとりあげた番組で、
母はとあるラブレターに、とにかく度肝を抜かれたらしい。
アララギ派の歌人斎藤茂吉が、添い遂げることが叶わなかった運命の女、愛人永井ふさ子にあてた恋文だった。
茂吉52歳、ふさ子24歳の出会いだった。
150通に及ぶ恋文がふさ子に送られた。
読んだら燃やしてほしいと言われていたが、ふさ子が焼いたのはわずかで、130通あまりを大切に手元に残しておいた。
以下ほんの一部を引用する。
もっと美しく過激な表現もあるので、できればまた次回掲載したい。
"ふさ子さん!ふさ子さんはなぜこんないい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理をしてはいけないと思います。玉を大切にするようにしたいのです。ふさ子さん。なぜそんなにいいのですか。"
"ふさ子さんの小さい写真を出してはしまいひ、又出しては見て、為事しています。今ごろはふさ子さんは寝ていらっしゃるか。あのかほを布団の中に半分かくして、目をつぶって、かすかな息をたててなどとおもふと、恋しくて恋しくて、飛んででも行きたいやうです、ああ恋しいひと、にくらしい人。"
"東横の地下室の隅のテエブルに身を休ませて珈琲一つ注文して、天下にただ一人、財布からパラピン紙に包んで、その上をボル紙で保護した、写真を出して、目に吸ふやうにして見てゐます、何といふ暖かい血が流るることですか、圧しつぶしてしまひたいほどです、圧しつぶして無くしてしまひたい。この中には乳ぶさ、それからその下の方にもその下の方にも、すきとほって見えます、ああそれなのにそれなのにネエです。食ひつきたい!"
これがあの美しい歌を紡いだ歌人斎藤茂吉の恋文だ。
読んだらずっこけそうだ。
まるで思春期真っ只中の男子だ。
これはすごい。
もうバカみたいだ。
バカみたいに、死ぬほどに、ふさ子を想っていたのだ。
どんなに気取った美しい言葉の恋文より、
激しい情愛の中で耳に残る言葉のほうが、遥かににその人を感じ取ることができる。
地べたを這いずるような、絡み合うような情愛と、率直な欲望をぶつけられる愛のほうが、魅力的だ。
肉体を知ることは、まさに相手の心の奥底まで知ることにほかならないし、それを唯一許すことにほかならない。
私と母には、ふさ子がなぜ手紙を焼かなかったか、とても理解できた。
ふさ子は、茂吉がふさ子のもとを離れた後も、生涯独身だった。
歌人斎藤茂吉も恋の魔力には中学生のドキドキ感染したようだねー。でも中学生あたりの完成が一番あるいみ複雑でおもしろい一面もあるよね、相手のこと考えたりする余地なしみたいな
返信削除ね!愛と肉体がここまで前面にでてくるなんて、もしかしたら死んでもいいとか、思って、愛し合ってたかなーと思って、多分歌も、いいのがかけたんだろうな
返信削除中高女子校でしかも男性恐怖症だったから、そういう時代の"男子"という概念が完全に抜け落ちてて、だから余計に茂吉みたいな愛情表現が心に刺さったかも
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